そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

楽なままで生きたい

 「俺が君くらいの頃は…」で始まる話を聞いた。まあ要するに私は仕事のやり方がまだまだ甘っちょろいらしい。

 

 「苦しい体験をしてこそ楽しさが増すんだから、これから大変だろうけど頑張っていこう」そんな風に言われた。

 

 心の中で全スルーした。

 

 その「苦しい体験」とか「楽しさ」とかを、どうして仕事で体験する必要があろうか。それは別に仕事でなく、自分のやりたいことでも出来ることのはずだ。仕事とはそんなに特別なものか。

 

 どうもあなたとは考え方が合わないらしい。

おみくじで「凶」を引いてみたい

 ふと思い出したこと。

 

 実家に帰ってから近所の神社に初詣に行った。お参りをして、お守りを買って、おみくじを引いて…といういつもの流れを一通り済ませてきた。

 

 お参りでは特にお願いをこめる事も無く、とりあえず10円投げて鐘鳴らして二礼二拍一礼して済ませた。今のところ「神様」の存在はあまり信じていないし、願ったところでなあ…という気分。

 

 それでもおみくじは引く。せっかくだし、家族みんな引いてるし。引いたところ、今年は「小吉」だった。要約すると「人に任せろ」ということを多く言われた。その後家に持ち帰った。結ぶことに特に意味は無いらしいから結んでは来なかった。

 

 それにしてもあの神社のおみくじは、今まで十数回引いてきたが、一度も「凶」が出ていない。運勢が悪いものだから引かなくて良いことなのかもしれないが、それだけ出ないとなると、本当にあるかどうかを確かめたくなってしまう。そして、もし「凶」が出たら出たで、運勢はともかくその珍しさに歓喜することだろう。一度は見てみたいと思っている。

 

 しかし、「初詣」とは言うが、そのあと一度も詣でないから、"初"も何もないと思ってしまうのだが、細けぇこたぁ良いん…だろうか。

「私はこれで成功した」は完全スルーしようと思う

 今年の目標は「埼玉に転職する」に決まった。

 

 さて、今日が仕事始めだった。年始の挨拶の中で、社員の一人が、いわゆる「私はこれで成功した」の類の話をする場があった。

 

 今まではこうだった、けどこうやってみた、そうしたらこう変われた、そんな話だ。

 

 資料や話のネタなど、頑張って用意した当の本人には申し訳ないが、私はこの話を一切合切聞き流した。その理由は「いくらやったところで私は貴方にはなれない」からだ。

 

 本屋に行くと、この手の話をしている「自己啓発本」というコーナーは大体どこにでもある。私も会社員になりたての頃は、入社1年目の人間が云々とか、ほうれん草がどうとかいう本に手を伸ばしては読んでいた。

 

 後から気づいたが、こういった話はほとんど全てが著者自身の体験談だったり、「そう考えている人が多くいる」話を挙げているだけだった。こんなものを読んでそれを鵜呑みにするのはたいへん難しい。と言うより、真似などしたくない。

 

 まず私は著者とは違う。生まれた年、出身地、容姿、学歴、得意分野、好物、年収、スキル、その他その他…。何もかもが著者とは違う。所詮は他人の話である。そんな人が書いた「自己啓発書」を読んだところで、私の何がどう変わるというのだろう。私が何かを変えたいと望んだところで、そのための方法が本に載っているわけがない。それは、繰り返しになるが、「私は貴方ではない」からだ。結局、変わりたいなら、その方法は自分自身で見つけていくしかない。…ヒントなら本からも得られるかもしれないが。

 

 これは完全に私見だが、自己啓発書が売れ続けるのは、悩みや不安を抱えた人間が多く居るからだと思う。このままじゃいけない、でもどうしよう……そういった焦りや不安の感情を抱えているとき、本屋に並んでいるこの類の本は、不安を抱えた人にとってまるで「助け舟」のように見えるのかもしれない。本に手を伸ばしていた会社員1年目の私もそういう不安を抱えていた覚えがある。そもそも、他にどんな人が買うんだろうか。私には思い浮かばない。

 

 それに加えて、「生存バイアス」という言葉もつい考える。生き残りだけが注目され、退いたものはそもそも母数に入らない…という意味だったと思う。世界には、店頭に並んでいる本の著者以外にも、何人も色々な人が存在しているわけなのだが、「今話題の本」などと宣伝されてしまうと、どうしてもそこにばかり注目してしまう。実際には本も書かずにうまく過ごしている人、もしくは書いたけれども店頭に並ばなかった人、そんな人たちが大勢いるはずだ。

 

 極端に言ってしまえば、今回の社員の話も、本に載っている成功例も、たぶん、偶然の賜物だ。そこに意味を持たせるのは、いつも「人間が」「後から」だ。だから、参考にしたところで何の価値も無い。そういうわけで、生存バイアスで固められた成功体験談には耳もくれずに生きていこうと思った。