そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

トイレと業績?

 会社の廊下に変なものが張り出されていた。「トイレがキレイな会社は良い会社である」という趣旨の、新聞記事の切り抜きだった。果たしてこれは本当なのだろうか。確かにトイレが臭くて汚れているよりは好印象を与えると思う。この会社でも「トイレは会社で一番キレイにせよ」と言われる。恐らく長年の経験からそういったやり方が確立されたのだろう。

 しかし、その命題は100%成り立つものだろうか。NOだろう。どうしてトイレの清潔さと会社の良さが比例するのだろうか。訳がわからない。そもそも、「良い会社」と言うが、その「良い」の定義は何なのか。その時点ですでにおかしい。それが成り立つなら、対偶の「悪い会社はトイレが汚い」も成り立たなければならない。しかし、元の命題も対偶命題も、反例は探せばいくらでもある。そこを無視しているのだろう。

 何だか、生存バイアスと確証バイアスが産んだ子供のような感覚だ。「トイレがきれいな会社は良い会社である傾向にある」なら、まだ分かる…かもしれない。

 

飲み会は嫌いだ

 

 身体を患ってから拒み続けてきた会社の飲み会に、久しぶりに参加してきた。会場はやや狭い。そこに数十人が詰め込まれて、酒を注ぎ酒を注がれ、社員同士盛り上がっている。私はその輪の中に入れなかった。出される食事をただひたすら食べてウーロン茶を飲んで過ごした。騒がしい且つ人口密度の高い空間に入り浸るのは苦痛だ。

 

 嫌いな上司も容赦なく近寄ってくる。私も話しかけられたが、会話中は一切目を合わせなかった。身体も上司の方に向くことはしなかった。後から後輩に笑いながら、「あの人来た時、表情消えましたね」と言われた。事実だ。

 

 終了間際には、もうあの空間に居ることすら嫌になっていたため、お開きの時間になった後、逃げるように会場を去った。ものすごい開放感を覚えた。自分はどれだけ嫌がっているんだ、と呆れもした。

 

 今後、新たに社員が入ったら、またこのような場が設けられるのだろう。次は断ろう。仕事をする仲間と割り切って、会社の外で酒を入れながら付き合うという無駄な残業はしないことにしよう。

 

 飲み会は嫌だ。

会社が潰れない保証は無い

 今、この本を読んでいる。

  これを手に取った理由は、特に無い。ちょこっと寄った本屋を見回っていたら、背表紙の題名に一本釣りされて買ってしまった。この本に手が伸びてしまうあたりが、私が今の会社に対して思っていることを物語っている…と言われればそうなのかもしれない。

 

 さて、私はこの本をレビューするために記事を書いたのではない。私も従業員である以上、勤め先が突然倒産してしまうというリスクを抱えながら仕事をしているわけであって、会社が永久に続くという保証はどこにもないんだよな…と、しみじみと思った次第である。それは何も私に限った話ではなく、全ての従業員に対して同じことが言えるはずだ。経営者は「こんなことをしていたら潰れてしまう」と言う(経営者目線)が、従業員たる私にしてみれば、潰れたら次の働き口を探すのみ(従業員目線)である。潰れる心配をするのは経営者だけで十分だと思う。

 

 そうである以上、「副業」というものが許されない理由はどこにもないと思われる。稼ぎ口をいくつか用意しておけば、どれか1つがなくなっても稼ぎ口が残るわけで、これはまさしくリスクの分割だ。自己防衛の1つともいえそうだ。

 

 あの会社は明日潰れるかもしれない。可能性はとても低いが潰れるかもしれない。従業員目線で見ると、常にそのリスクとの戦いである。しかし、それに気づければ、対策を打つことも可能である。