そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

無職も悪くない

 私は、この4月から無職である。

 新卒から勤めて数年経った会社を、めでたく(と自身では思っている)3月で退職した。

 もう辞めてやるだなんだと1月末から騒いでいたが、それがようやく現実になった。退職前の引継ぎが簡単にいかないのではないかと心配していたのだが、意外にもうまく進んで、ゴタゴタが発生するというような事態にはならずに済んだ。

 

 さて、転職はこれから行なっていくわけだが、せっかくなのでその前に、この暫しの「無職期間」を楽しむことにした。無職の状態で平日を2日過ごしてみただけでも分かることが、下記のように結構ある。

  1. 時間が有り余る
     今まで会社に提供していた労働力だか労働時間が、そのまま自分のものになっている。つまり、曜日の条件無しに、1日24時間が全て自分の為に使える。大きすぎる自由を手に入れた気分である。と言っても、これに慣れてしまうとその後が怖い。

  2. 様々な事に興味が湧く
     上でも書いたように、とにかく時間がある。なので、今まで気にはなっていたが出来ていなかった事に、不思議と意欲が出るようになった気がする。
     例えば、私は会社員時代は全くと言って言い程料理をしていなかった(米を炊くくらいだった)。しかし退職してから、初心者向け?の料理本を買って、食材を買って簡単なものから作っている。不慣れで不器用で手際も悪く、いくつも失敗するものの、意外にも結構出来るもんだなと思っている。完全な素人向けの本に、幸運にも出会えたので、最後の方で紹介したい。
     また、これもやはり会社員時代に全くしていなかった運動も、今では(軽くだが)している。早朝に30分くらいのウォーキングと、スクワットなどの筋トレをしているが、これがなかなか気持ちが良い。しっかりと目が覚める。職が無いと家にこもりがちだから、ウォーキングなどは日光を浴びるのにもちょうど良い。今後は、久しくやっていないジャグリングも混ぜてトレーニングを出来れば…などと思っている。

  3. 出費に敏感になる
     無職である以上、収入は当然のように断たれる。別の稼ぎ口があったなら話は別なのだが、そんなものは残念ながら無い。月収ゼロ円の状態なので、これまでの貯金を切り崩して生活していかねばならない。今まで会社に任せていた年金や保険料も自分で収めねばならないので、今まで以上に目に見える形でお金が減っていく。半年くらいは生きていける程度に貯金があるとはいえ、あまり無駄にはしたくないので、日々の支出には常に気を配っている。だが、午後3時ともなれば間食をしたくなり、ついコンビニに寄ってしまう。せっかく料理に気が向いたことだし、もっと慣れた頃にお菓子作りでもしてみるか…。

  4. 生身の人間との交流が減った
     これは強く自覚している。もともと人付き合いがあまり得意ではないのもあり、自分から積極的に交流しようとするほうではないのも手伝って、他の誰かと言葉を交わす機会は激減した。今のところそれで困っていることはないが、言葉の発し方を忘れてしまわないうちに転職活動だ。

  5. 精神的に楽
     これが一番強いかもしれない。私は今、(金銭以外は)縛られるものが無い。出社時間と退社時間を定められた会社員でもないし、学生でもない。文字通りの無職である。そんなこと言うと聞こえは悪いのかもしれないが、私は今とても楽な気分である。6年間鎖に縛り付けられていたが、それを開放し、やっと人間らしさを取り戻した、そんな気分だ(大げさな表現だとは思っていない)。

 

 以上、良い面も悪い面もあるが、身体にも精神にも良い休養期間になっていることは確かだ。しばらくはこのまま過ごさせてもらおう。

 

 しかし…会社員時代にも、このくらいの余裕を持って活動していたかった。

「卒業」と聞いて

 何となくテレビを付けていたら、卒業ソング特集のような番組をやっていた。そういえば3月は卒業の月だった。私の場合は6年前に大学を卒業、これが一番近い。しかし、私はそれよりもさらに3年遡った、高校生の時の方が思い出に残っている。

 高校は自宅から自転車で通えるという理由だけで選んだ。進学校だったが、勉強はそっちのけで、吹奏楽部に入って約2年半ひたすらにクラリネットを吹き続けていた3年間が懐かしい。もう記憶が薄いが、卒業式では後輩達が演奏してくれたんだったろうか。確か目頭を熱くしながら、周りに涙が見えないように堪えていたはずだ(主観だが、私は結構涙もろいと思う。ファンキーモンキーベイビーズのPVでウルッと来たりする)。

 あの頃は毎日18時頃まで練習した。土日も1日中練習だった。休日が文字通り全く無く、お盆と年末年始の数える日数しか無かった覚えがある。それでも私は夢中で部活に打ち込んでいた。毎年の演奏会やコンクールの為に休日返上、時には合宿までして演奏し続けていた。それでも、相当に楽しんでいたと思う。とても良い思い出だ。

 今考えると、何かに熱心に取り組んでいたことの中では、高校の部活がベストなのではないか。まだブツクサと文句を言うことも少なく、置かれた環境を純粋に楽しんでいたように思う。それが今では過去の記事に滲み出ているように、毎日愚痴の耐えない人間になってしまった。あの頃の自分が見たら、きっと醜くてつまらない人間に成り下がっているのだろう。だが、幸いにも今でも打ち込めることはちゃんとある。私もいよいよ会社を「卒業」するわけだし、これを機会に好きなことに真っ直ぐに向き合ってみようか、と思った。

よくある「会議と呼べない何か」

 社内の会議では、上層部によるパワーゲームが横行している。

 

 会議の場にお偉いさんが存在していると、その集まりはもう、完全にその人の独壇場になる。同席している社員に決定権はなく、全てはお偉いさんの発言で決まる。社員側も発言はするのだが、ほぼ毎回途中で口を挟まれてしまう。言葉のキャッチボールなど、皆無と言っても良いだろう。

 さらに、お偉いさんの発言内容に抵抗したり意見しようものなら、驚くべきことに「じゃあ俺は知らないから勝手にやれ」という方向に持って行かれてしまう。「会議」と名がつく集まりのはずなのに、議論すら始まらない。むしろ、議論をさせない。「俺の決定に従え、嫌なら勝手にお前らでやれ」と圧力をかけて一方的に意見を押し付けてくる。

 また、これも困ったことに、気に入らないことがあればすぐ感情的に怒鳴る。そしてそこからはやはり一人舞台になるのである。これによって、参加者の貴重な時間は愚痴聞きで消費されることになる。身も心も削られるというのはまさにこのような場合のことだろう。何も生まれないとても勿体無い時間である。

 そのくせいつも、会議の参加人数、時間、人件費から、この会議にはいくら掛かっているんだ、コスト意識を持て、という話をしている。会議にならない進行の仕方をしているのはどっちだ。そもそも時間外にやる会議だってあるというのに、何がコスト意識だ。社員にコスト意識という前に、そちらも払うものを払ってから言って欲しい。