そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

早すぎて窮屈だなあ、と思って

 今の会社の近くにあるコンビニには、どういうわけか処理が物凄く早い店員さんがいる。平日のお昼に行くとだいたいその人が居て、驚くほどテキパキと客の対応をこなす。周囲の店員さんの2倍は早いのでは、というスピードである。声も、店の端にいてもよく聞こえる。社員なのかパートなのかは知らないが、店では恐らく非常に良い評価をされる店員さんなのだろう。客側からしても、まあ待ち時間が減るぶんには良いんじゃないだろうか。

 しかし、ハッキリ言う。俺はこの店員さんが苦手である。この店に行ったときは、なるべくこの店員さんのいるレジには並ばないようにしている。その理由は、「処理が早すぎるから」だ。

 確かに、処理が早いことは悪いことではない。その分客を多く捌けるし、”お客様をお待たせする”こともない。だがそのスピードが、俺にとっては非常に窮屈なのだ。あまりにもサッサと片付けてしまうものだから、つられてこちらの精神的余裕もなくなり、金額を用意するのに焦ってしまう。

 こういう経験をして思ったのだが、「お客様をお待たせするな」というのは、何だか物凄く窮屈な話だ。俺としてはもう少し緩く接客しても良いんじゃないか?と思っている。お店などで、いちいち「お待たせしました」と言われるのも、何だかなあと思う。待つことを知ってて並んでいるし、別にそんな気を遣わなくても良いのに、と考えてしまう。

 

 似たようなところでは、電車だろうか。あれ、ちょっとの遅れでも「遅れまして申し訳ありません」などとアナウンスしているけど、大げさ過ぎやしないか。そりゃあ10分遅れとかは気になるけど、ほんの2,3分の遅れでも謝罪というのは…。俺は「いや別に2,3分くらい気にせんでも」と思うのだが。

 

 コンビニの話でも電車の話でもそうだが、何だかどちらも時間に余裕が無すぎるのではないだろうか?「お待たせしない」「遅らせない」を徹底するあまり、逆に窮屈だという印象を与えることにはなっていないだろうか?「スピード」って、そんなに重要なことなんだろうか?