そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

「成長」って何なのさ

 言葉を聴くのも気持ち悪い。

 

 本日、またしても新卒向け会社説明会に「先輩社員」として参加してきた。なんてこった、また学生さんを騙してしまった。

 

 今回は、参加者の学生さんから受けた質問に対して考えてみる。説明会の中で、とある学生さんからこんな質問があった。

 

 「仕事をやっていて『成長』を感じられたのはどんな時でしょうか?」

 

 それに対する私の回答。

 

 「えーっと…『嬉しかったこと』と被ります」

 

 この「嬉しかったこと」とは、人事が予め用意していた質問事項だ。この質問への回答は既に用意してあったが、私の回答は以下。

 

 「分からないこと(補足:アナログ電子回路のこと等)が分かるようになった時…ですかね」

 

 つまり私は、学生さんに対して「成長を感じたとき」=「分からないことが分かるようになった時」と回答した。(注意していただきたいのは、これが「仕事上で」という条件付きであること。仕事上でなく、自分がやりたいことをやってて分からないことが分かるようになれば大変に嬉しいものだ)

 

 だが、学生さんには申し訳ないが、これは本意ではない。電子回路のことを学べてもさほど嬉しくないし、「成長」も実感しない。そもそも、「成長」というのが何のことなのかよく分からない。「成長」とは何なのだろう?

 

  1. 素早く仕事をこなせるようになることだろうか?
     だったら、それは「成長」というよりは「慣れ」な気がする。「成長したから仕事が早くなった」では何のことか分からない。「仕事に慣れて、早く処理出来るようになった」だったら分かるのだが。
     そもそも「成長」と「慣れ」はかなり似ていると思う。
  2. 知識と経験を積んだ優秀な人材になることだろうか?
     もし、さっぱり興味の無い分野のことを色々知っても「成長」なのだろうか?会社サイドから見ればそうかもしれないが、個人として見るとそれは「染められた」と言う方がしっくり来る。

  3. いわゆる「大人になる」という意味?
     礼儀や姿勢などから学生気分を取っ払うこと、とでも言うのだろうか?これは「大人になる」というよりは「会社員らしくなる」という意味では「成長」と言えるだろうか。(というかまず学生気分を抜きたくないんだよなあ…)

 

 上記の中では2が一番近いだろうか。「専門的なことが色々分かるようになる」というのが成長、と言っていいのかも知れない。

 

 思うのだが、経営者サイドが「成長」という言葉を使っていると、それには「この社員が我が社でやっていくうえでの」という暗黙の条件が備わっているように思える。それは、悪く言えば「染め」「洗脳」という言葉も当てはめられるのではないか。

 

 残念ながら、私は上記のような意味での「成長」には全く興味が無い。それが全て「仕事」と関わっているから、というのが最も大きな理由だ。最近になって本も執筆された「脱社畜ブログ」管理人の日野瑛太郎氏は、以下の記事の最後にこう述べている。

仕事を通じて成長なんてしなくていい - 脱社畜ブログ

 "具体的なスキルの向上にしても、人間的な成長にしても、そのための題材は仕事以外のところにもたくさん転がっている。"

  "大事なのは成長の結果何をやるかだし、仮に何もしなかったとしても、毎日楽しく生きていれば特に問題はないはずだ。"

 

 つまり「成長」とは、それがゴールなのではなく、次のステップへの手段。そしてそれは、仕事以外でも可能。確かにこう考えれば、「成長」することも良い。趣味で作曲をやっていたが、ある程度経験を積んだ(=成長≒慣れ)からお金と結び付けてみるとか、そういうことならやってみたいと思える。

 

 しかし、その「成長」が仕事でしか役に立たないのなら、そんな成長は要らないし、したくもない。経営者の言う「成長」に乗せられたら、今いる会社の連中にとって便利な人間に成り上がるだけだ。