そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

コミュニケーションは何故こんなにも辛いのか

 特に、顔を合わせての会話は。

 

 

 某診断によると、私は重度のコミュ障であった。どの診断かは忘れてしまったが。ともかく、その結果を見てからは、日ごろの態度も加味して「コミュ障」であると自覚している。

 

 他人の視線が怖かったり、上司に話しかけるのに3分かかったり、電話をかけるのに数十分躊躇ったり…まあ一言で言うなら、散々である。

 

 とは言っても周囲の人間はそんなことは関係なく、用があれば話しかけてくるので対応しなければならない。しかし、私にはそれすらまともに出来ない。何故なら失礼ながら、「言っていることが分からない」のである。

 

 これは話し相手を責めているわけではない。私自身の問題だ。かなり高確率で、相手が真に伝えようとしていることを、理解することが出来ない。

 

 これには1つ目に、私の知識量の問題がある。(コミュ障とは別の問題だが…)私は今ハードウェアの部門に所属しているが、高校の頃から物理が苦手で、大学の講義でも全く理解できなかった私にとって、「電気」は非常に難解な分野だ。自主的に勉強する気も一切起きない。おかげで、異動して1年経ったが、未だに何も分からないままだ。

 

 そのおかげで、上司や同僚や後輩の話していることが全く分からない。専門用語なのか業界用語なのか、そういった用語を並べて話を進めてくるので、私はそれを右から左へ華麗にスルーするだけである。「後輩より知識がないなんて恥ずかしくないのか」と思われるだろうが、別に恥ずかしくない。もう既にこの分野のことを「どうでもいい」と思ってしまっているから、というのがその理由だ。

 

 2つ目に、長いこと人と会話をしていると、疲れてしまう。特にその内容が自分には興味のないことだと尚更だ。残念なことにそれが社内的に重要なことであっても、そのうちダルくなって話を聴かなくなる。聴く気力が失せ、それに伴って話す気力もなくなり、「ええ」「そうですね」「はい」といった相槌を、相手の方を見ずに行う。大変に宜しくないとは分かっているのだが、どうも顔を合わせての会話というのは疲れてしまって辛い。そもそも、会話にはそれなりの労力が要る。

 

 その点チャットなど文字での会話であれば、その発言はずっと残る。だから、その時見逃してしまっても、ログを追えば問題ない。自分のペースで読解できるから、顔合わせよりも内容を理解できるし、労力も使わずにやり過ごせる。業務上の全ての会話がメールやチャットで済めばいいのに…と、いつも思う。

 

 あまりにひどい私のコミュニケーション能力だが、「親しい人との会話(文字、顔合わせ問わず)」は苦ではない。これは、今の私にとって最も楽しく行える会話である。内容もちゃんと把握できる。

 

 

 そういうわけで、某身内の皆様、大学の友人さん方、あなた方は私にとってたいへん貴重な存在です。私がまともに会話を行える、数少ない相手です。いつも楽しませてもらっています。堅苦しいですが…いつもありがとうございます。