そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

落ち着ける環境づくり

 今は日曜日の夜だ。普段と変わりなくパソコンデスクで読書をしていたのだが、何となしに自分の部屋を「出来る限り暗く静かにしよう」と思いついた。そこで、パソコンと明かりを消して、買っておいたロウソクに火を灯して読書を再開した。

 

 その効果はかなりのものだった。集中力が段違いだ。パソコンの前に居ると、どうしてもそちらへ注意が向く。ファンの音も常にするので気が散るといえば散る。だが、それをなくしてしまえばそちらへ注意を向ける力も不要になる。とても良い環境だった。

 

 読書を目的としなくても、この環境に身を置く事は理想だなと思ったので、ロウソクの明かりだけで過ごしていたときのことを少しメモしておいた。

  • 虫の声がほどよく聞こえる
  • そよ風が入ってきて気持ちが良い
  • 月がとても明るい 
  • TVもPCも蛍光灯もOFF、明かりはロウソクだけ
  • 時折電車の音が聞こえるがさほど気にならない
  • 隣人の生活音がする
  • すぐそばが大きな国道なので窓を開けていると車の音が耐えない

 

 ざっとこんな感じだ。そんな部屋(車の音の理由で窓を閉めたためそよ風無し)で、座布団に座り、足を伸ばし、腕を机に預け、眼を閉じるかロウソクの灯をボンヤリと見ると、あらゆる雑念を忘れて非常に落ち着いた気分で過ごしている自分を感じられた。日曜日の夜によくあるストレスとは無縁の心理状態になれた気がした。

 

 そしてロウソクが消えてから分かったが、月明かりとはこんなにも明るいものだったのか。普段意識していない所から癒しを得られたのであった。いずれこのように、ストレスと絶縁し、自然に目を向けられ、雑音が少ない静かな環境に身を置きたいものだと思った。

 

 だが、そんな環境下で読んでいた本は、文春新書の「サイコパス」だ。

引き留めが逆効果な後輩の話

 今まさに、会社を辞めようとしている後輩がいる。新卒で入った人で、まだ3年は経っていないが、その若さゆえに引く手は数多だろう。実際に、次の働き口も決まりそうな状態での退職。私としては、彼は良い判断をしたものだと思う。

 

 しかし、会社側は彼の退職を許さない。これまで幾度となく辞意を伝えているものの、様々な人間からしつこく引き留めを食らっているようだ。彼から聞いた話では

・まだ早いんじゃないか

・「向いてない」と言うが、ここは色んなことやってるから

・新しく○○部で頑張ってみないか

・まだ会社に対して何の恩も返せていないだろう

 等々、数字の出ないフワッとした言葉で何度も引き留められているようだ。上に挙げたもののうち、一番下は私にとっては意味が不明だ。(大した奉公もないのに)いったい何に対して恩を返すと言うのか。

 

 どうも、違う部署への異動を勧められたあたり、やめる理由について勘違いをしている輩もいるようだ。会社内で異動すれば解決する問題ではない、ということが伝わっていないのだろう。確かに、あまり角を立てるような言い方をすると後になって何をされるか分からないから、伝え方が抑え気味になるのも仕方ない。

 

 当の彼は、やはりと言うべきか、そんな引き留めを受けても決心は固い。むしろ、引き留められる事によって「早く辞めたい」という気持ちがどんどん強くなっているようだ。その引き留めが会社にとって完全に逆効果に向いている。それを執拗に受けるのだから、この引き留めが彼にとってはプラスに働いている、と言えるのかもしれない。

 

 「サッと退職願受け取ってもらえりゃそれで良いんですけどね」とは彼の言葉だ。その通りだ。お互いに時間を無駄にしない。後継者を探すのは完全に会社側の仕事だ。気持ちが固まったならば、早くこの場を去って、もっと開放的な人生を歩んで欲しいと思っている。

私は給料を"貰う人"です

 ネットを漁ったりTwitterを見たりしていると、

とある会社のポスターの内容が酷い

と、一部で叩かれまくっている。

 このポスターの件については私も思うところがある。なぜなら、毎日見ているからである。私は、あれは洗脳の一種だと思っている。それも、経営者の都合の良いように社員の考えを向かわせ、法律違反が蔓延る現実から目を逸らせるためのものだ。

 例えば「あなたは給料を"稼ぐ"人、"貰う"人、どっち?」というポスターがある。このポスターには、給料を"稼ぐ人"と"貰う人"のイメージ図が付いている。うろ覚えだが、"稼ぐ人"はシャキっとした身なりにやる気を見せるような表情をしている。それに対し、"貰う人"は背筋を曲げ、どこかやる気が無いと思われがちな表情をしている。

 私はこのポスターを見ると、「"稼ぐ人">”もらう人”」とでも印象付けたいのかと疑問に思うのである。雇われ(労働者)である限り、労働者→経営者という関係は「労働力と時間を売り、その代わり金銭を受け取る」ことに尽きる、と思う。

 それゆえに、我々労働者は給料を「もらう側」でなくてはならない、と考えるのである。よく「売り上げがなくては給料など払えない」という声も聞かれるのだが、それこそ、同じ会社の別のポスターで謳われていた「できない病」ではなかろうか。給与の支払いが「出来る/出来ない」と分ける考え方そのものが間違っている。給与は支払わなければならないものであって、労働者としては報酬もなしに働くことなど出来ないのである。

 稼ごうが稼ぐまいが、提供した労働力ぶんの報酬は受け取って然るべきだ。私は雇われの身である限りは、これからも胸を張って給料を"貰う人"で居続ける。何もここでやる気を見せる必要はない。その力は会社の外で使えばいい。