そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

「卒業」と聞いて

 何となくテレビを付けていたら、卒業ソング特集のような番組をやっていた。そういえば3月は卒業の月だった。私の場合は6年前に大学を卒業、これが一番近い。しかし、私はそれよりもさらに3年遡った、高校生の時の方が思い出に残っている。

 高校は自宅から自転車で通えるという理由だけで選んだ。進学校だったが、勉強はそっちのけで、吹奏楽部に入って約2年半ひたすらにクラリネットを吹き続けていた3年間が懐かしい。もう記憶が薄いが、卒業式では後輩達が演奏してくれたんだったろうか。確か目頭を熱くしながら、周りに涙が見えないように堪えていたはずだ(主観だが、私は結構涙もろいと思う。ファンキーモンキーベイビーズのPVでウルッと来たりする)。

 あの頃は毎日18時頃まで練習した。土日も1日中練習だった。休日が文字通り全く無く、お盆と年末年始の数える日数しか無かった覚えがある。それでも私は夢中で部活に打ち込んでいた。毎年の演奏会やコンクールの為に休日返上、時には合宿までして演奏し続けていた。それでも、相当に楽しんでいたと思う。とても良い思い出だ。

 今考えると、何かに熱心に取り組んでいたことの中では、高校の部活がベストなのではないか。まだブツクサと文句を言うことも少なく、置かれた環境を純粋に楽しんでいたように思う。それが今では過去の記事に滲み出ているように、毎日愚痴の耐えない人間になってしまった。あの頃の自分が見たら、きっと醜くてつまらない人間に成り下がっているのだろう。だが、幸いにも今でも打ち込めることはちゃんとある。私もいよいよ会社を「卒業」するわけだし、これを機会に好きなことに真っ直ぐに向き合ってみようか、と思った。

よくある「会議と呼べない何か」

 社内の会議では、上層部によるパワーゲームが横行している。

 

 会議の場にお偉いさんが存在していると、その集まりはもう、完全にその人の独壇場になる。同席している社員に決定権はなく、全てはお偉いさんの発言で決まる。社員側も発言はするのだが、ほぼ毎回途中で口を挟まれてしまう。言葉のキャッチボールなど、皆無と言っても良いだろう。

 さらに、お偉いさんの発言内容に抵抗したり意見しようものなら、驚くべきことに「じゃあ俺は知らないから勝手にやれ」という方向に持って行かれてしまう。「会議」と名がつく集まりのはずなのに、議論すら始まらない。むしろ、議論をさせない。「俺の決定に従え、嫌なら勝手にお前らでやれ」と圧力をかけて一方的に意見を押し付けてくる。

 また、これも困ったことに、気に入らないことがあればすぐ感情的に怒鳴る。そしてそこからはやはり一人舞台になるのである。これによって、参加者の貴重な時間は愚痴聞きで消費されることになる。身も心も削られるというのはまさにこのような場合のことだろう。何も生まれないとても勿体無い時間である。

 そのくせいつも、会議の参加人数、時間、人件費から、この会議にはいくら掛かっているんだ、コスト意識を持て、という話をしている。会議にならない進行の仕方をしているのはどっちだ。そもそも時間外にやる会議だってあるというのに、何がコスト意識だ。社員にコスト意識という前に、そちらも払うものを払ってから言って欲しい。