オレ流「精神的脱社畜」
タイトルの「精神的脱社畜」とは、「脱社畜ブログ」の著者である日野瑛太郎さんが以下の記事の中で言っていた言葉だ。
「精神的脱社畜」と「経済的脱社畜」
そこでは「精神的脱社畜」とは、「会社を絶対視しない考え方を身に付けること」だと書かれている。この記事を初めて読んだとき、ああコレは絶対持っておくべき考え方だと思った。会社に自分の時間を縛られてしまうのが嫌いになった俺にとっては、大変重要なことに思えた。
以下、「精神的脱社畜」について書いてみる。これを成し遂げるための具体的な考え方は記事の中にも書かれていたが、ここでは俺が持っている考え方を挙げてみることにする。
- おかしいことには素直に「おかしい」と思う
- 精神論と「やりがい」「成長」「常識」は聞き流す
- 会社を出たら仕事のことは全て忘れる
ざっとこんな感じだろうか。
1.について。恐らく、どの会社にも独自に設けられたルールがあるはずだ。こういうルールって大体が変だ。朝から数十分残業だったり、プライベートタイムに会社が首を突っ込んだり、仕事の分担がなされていなかったりと、傍から見ればおかしなことばかりが並ぶ。こう言った変な規則を当たり前と思ってしまったら最後、社内のルールが社会のルールであるかのような錯覚に陥ってしまうかもしれない。俺は、社内の常識は社外では非常識だ、と思うようにしている。
2.について。「やりがい」とか「成長」、特に「成長」は、ここの幹部の好きな言葉らしく、毎日1回は誰かの発した言葉が耳に入ってくる。でも、成長って言うけど、別に俺はこの会社のために成長したくないです。そもそも「やりがい」とか「成長」ってなんだか分からんし。そういうボンヤリした精神論みたいなのを出して、肝心の残業代を出さないんだから困る。「常識」も、1.で言ったように、もしかするとここの外では「非常識」かもしれないから真に受けない。
3.について。今はこうして考えをまとめているから別だが、俺はいつも会社の門を出た後は、仕事のことはサッパリ忘れるようにしている。そうして、帰宅してからは自分のやりたいことに集中する。今はもう、意識せずともそういう考え方をすることが出来るようになった。だから休日も大いに楽しめる。そうは言っても、日曜の夜はどうしても思い出してしまうのだが…。
以上のような考えで、精神的に脱社畜しようと心がけている。幸い完全に洗脳されてはいない自信があるので、今のところあまり心配は無い。
だが、もし役職がついてお上の人間と近くなるような感じになったら、そうなる前に辞める。どう考えても彼らと俺の考えを一致させることは出来ない。俺みたいな考えを持つ人間が誰かの上司になったら、まあ今の会社にとっては相当迷惑だろう。