そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

家庭用ゲーム機に興味がなくなった理由

 それによって何も生み出されないから。

 

 

 2年前まで実家暮らしをしていたが、その頃は文字通り毎日のようにゲームで遊んだ。任天堂のハードばかりだったが、マリオカートスマブラポケモンカービィを特に好んでプレイした。

 

 ところが、働き始めることになって実家を出たら、家でゲームなどさっぱりしなくなってしまった。実家からDSを持って行きはしたのだが、全くと言っていいほど触っていない。かわりにPCに触る機会は増えたが、そこでもゲームをすることはない。ニコニコ動画を観る時間も、ここ数か月で減ってきた。

 

 あれほど好きだったゲームを、何故こうも簡単に捨てられたのだろうか。振り返ってみると不思議だ。環境が変わって、ハードも無くなったし、そもそもそんな暇などないというのが最も大きな理由の気がするが、それ以外にもあると思っている。

 

 自己診断になるが、実家暮らしの頃から、俺の中でゲームに対する考え方が変わっている。ゲームをすることによって、自分にとってプラスになるものが何もないと思ってしまっている。生み出されるものと言えば攻略方法とかなんだろうが、それはそれだ。そのゲームの外では役立たないことが殆どだ。

 

 では今、ゲームをあまりしなくなった代わりに自室で何をしているのかと言うと、読書とDTMとプログラミング(の勉強)だ。プログラミングは、情報工学科を出ているわりにはマトモに打ち込むことが出来ないので、やり直すように勉強している。プログラムもDTMも、やった結果として動く(聴ける)ものが出来上がる、というのが楽しいと思える。そういうものを自分で作れるから、何かを生み出さないゲームより熱中できるようになったんだと考えている。読書は、見方によっては「与えられるだけではないか」とも言えるが、そこに書いてある事についての知識を少なからず得ることが出来る、という点で評価したい。

 

 とか何とかごたごた言っているが、今もゲームはする。ネトゲだって1つやっているし、実家に帰れば、弟とWiiなんかで遊ぶ。さらに、部屋の外に出れば話は別だ。ゲーセンにはよく行くし、音ゲーメダルゲーム、UFOキャッチャー、ダーツなど、まあよく遊ぶ。ただ、遊びと創作の割合が2:8くらいで安定してきているとは思える。

 

 どうやら、自宅では読書や創作を行いたいという考え方がある程度確立されてきているようだ。実家を出てから、俺の中で考え方に進歩があったのだと言って良い。…はず。