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そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

本当に社員「だけ」が悪いのか?

 今日の退社は22時15分だった。帰るころには心の奥底まで嫌になっていた。

 

 そんな心持ちのところに、ある先輩社員から、後輩社員(以下T)についてのある話題を持ち込まれた。いつもなら非常に嫌な顔をして適当に聞いて終わったらさっさと帰るところだ。しかし、今日が金曜日であり、翌日が休みだったので、気持ちの面での余裕も手伝って、その話を少し聴いてから帰って来た。

 

 まず「Tくんは何であんなに拗ねてるんだろうね」と訊かれた。この人はどうやら、Tの態度が露骨過ぎたのが気になったらしい。確かにこのところ、ずっと嫌そうで辛そうな振舞い方をしている。私は、「うーん確かに、このところ振り回されてしまっていますしねえ」という返事をしておいた。

 

 その社員は、このTの「態度」の方を問題視していた。そして、「辛いことなんだろうけど、でもこういうのを乗り越えていかないと他でも通用しないし…」という意味のことを言っていた。まあ恐らく、「人は苦しいことに耐え抜いてこそ成長するんだ」という考えが前提にあるのだろう。

 

 私はその時は、終始ほぼ黙って話を聞く側に回っていた。だが…ちょっと待て。Tが拗ねているのは本当に「Tだけ」の問題で片付くことなのか?

 

 この背景にあった事について言うと、先月末、Tともう1人の社員(私の同期)にある命令が下った。要約すると、「他の部署の手が足りないから君たちに手伝いに言ってもらいたい」という内容だ。(その作業場所は本社とは別にあり、本社から車で数十分かかる位置にある)ここまではまあ許すとしても、その期間の指示がひどかった。

 

 「今日から」、それも「今から」だったのだ。

 

 それはいくらなんでも唐突過ぎはしないか。Tにも、もちろん同期にも、その当時抱えていた仕事が別にあるのだ。それを放ってでも行くということになれば、何かしら準備というものが必要になるはずだ。「今から行ってくれ」という指示はあまりにも急すぎないか。(案の定、手伝ってもらう側も話が急すぎて戸惑っていた)

 

 つまりTと同期は、(ほぼ)幹部の独断で良いように振り回されているのだ。その上、日々の業務時間は、夜は21時までが日常だ。(強調するが定時は18時である)Tは電車で通勤しているため、それにあわせて帰らなければならず、このところ帰宅は23時台が普通だそうだ。「直行・直帰にしたら?」と言ったのだが、それは出来ないらしい。朝の掃除をやってから作業場に向かえという何とも非効率なやり方だ。(入社1年目の者は、1年間、早朝7時半に出社して全オフィスの机を拭いて回るというとても変な伝統行事がある。強調するが始業時間は9時である

 

 背景の話が長くなってしまったが、こんな状況に置かれたら、嫌になって拗ねてしまうのも仕方ないと思うし、Tの感情もよく理解できる。私はそう思うのだが、この考えは間違っているのだろうか?私にTの話をしてきた社員は恐らく、こういった状況に「耐えさせる」ことを前提に「どうしたら良いかねえ…」と振ってきた。そのときは特に反論はしなかったが、「置かれた状況に対しては常に『耐えてこそ成長』」という考えは、私は間違っていると思う。あまりにひどい環境に身を置かれて、耐えろという方がおかしいのではないか?どうして「耐えること」や「ずっと働いていくこと」が前提になっているのだろう?

 

 恐らく、こういう時に「逃げる」という選択をすると、少なくとも上司には叱られる。今の会社の場合、専務や社長との距離が近いので、直々にありがたい叱責をされるだろう。「こんなことに耐えられないようではこの先やっていけんぞ」と。だが、これもちょっと変だ。何であなた方にこちらの将来を心配されなければならないのか。気に入らないならさっさと切れば良いではないか。現状から逃げてクズになるのもこちらの勝手であり、そんなことは自己責任だ。

 

 他社のことは知ってはいないが、少なくとも今の会社では、こういう状況に直面した際の「忍耐」は「人生における課題」のように捉えられている。「こういう経験をしないと成長しない」といった具合だ。繰り返して言うが、そんなことをあなた方に心配される筋合いはない。大きなお世話である。苦しい状況にも耐えてこそ成長、という考え方は別に偉くも何ともない。

 

 「新人が拗ねている」と言われてもやはり、Tの態度はごく自然な、自分に素直な、そして当たり前の態度だと思っている。会社の現状に疑いを持たず、社員の態度だけを責めるのは如何なものか。会社の体制も疑ってみる、という考えが出来ないと、必要以上に自分を責めてしまうことになりかねない。