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そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

叱責も聞き流したって良いじゃない

 スピーチや会議では、話の内容はよく「脱線」する。脱線しているようで実は例え話、というわけでもなく、現在のテーマとはさっぱり関係ない話が展開されたりする。

 

 今の会社の場合、経営者からの社員への叱責がそれにあたる。特定の社員、またはある部署のメンバーが収集されて叱責されることがあるのだが、これがどうも話が二転三転して、結局何が本題なのか分からなくなることが良くある。

 

 例えば、今の会社の経営者たちは、挨拶や清掃や気配りと言った、本業務以外のことにやたらと厳しい。そうなると、普段の姿勢の中で「姿勢と服装の乱れ」に気づくと、その社員を呼んで、正せ、と叱責していたりする。

 

 ここまでは良くあることだと思うが、遠くからその話を聴いていると、結構な頻度で「俺の若い頃は…」「会社を興したばかりの頃は…」と、何故かおれたちのむかしばなしが始まったりするのである。

 

 「昔っからそうなんだから、今だってどこだってそうだ」という風に繋がるのだが、そこに辿り着くまでの彼らの過去の経験の話は正直邪魔である。私の場合「こいつら昔からこんなんなのか」「昔は昔で今は今だろう」という感想しか持たないので、聴くだけ無駄だ。叱責は一方的にこちらにきつい言葉を浴びせられるわけで、そうすると精神的にかなりの量のエネルギーを消費するから、所要時間が長いほど士気もどんどん低下していく。

 

 開放されたときの精神状態は言うまでもないだろう。ずっと真剣に聴いてしまうから疲弊してしまうのではないか。こんな脱線の多い叱責の仕方をする人たちだから、聴くべきところと聴かないでも良い所の2種類があるはずだ。そう思った。

 

 とりあえず、主題から逸れている話は聞き流す。「挨拶」のことで注意されたのに「お前はあそこの掃除もうんたら・・・」と言う話をされたら、その話は「今は」関係ないから、真剣に聴かずにおとなしく時が経つのを待っていれば良い。

 

 あと、むかしばなしも勿論スルーする。「俺の若い頃は…」という話に何の意味があるのか。少なくとも真剣に聴く必要は全くないはずなので、これもうまく聞き流してしまえば良い。視線を落として適当に「はい」「そうですね」とか言っておけば良い。

 

 会話ってのは疲れることだし、叱責は一方的に責められることだし、全部聴いていたらドッと疲れてしまう。やらかしたミスについての叱責のみちゃんと聴き、それ以外の関係ない話は適当に聞き流したって問題ないだろう。ストレスを無駄にためないためにも。