そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

「当たり前」とは何なのか

・「当たり前だろ!」

・「常識だ、ジョウシキ」

・「そんなことも知らないのか?」

 

 部下に対して、このような言い方でおさめようとする上司がいる。しかも口調が強いので、そう言われてしまっては、部下としては「はぁ…」といった不満の漏れる返答くらいしか出来なくなる。実際に私も、上司の上司というような立場の人から「それは当たり前だ」と言われてしまっては、「はい、すみません」程度の返答しか出来ない。

 

 私は、この職場で、こういった指示や指導の仕方を何度も見ているが、やはりというべきか、思うところがある。「当たり前」と「常識」とはそもそもよく似た言葉だが、これらは結局の所いったい何なのだろう、と思う。

 

 しかし、偉そうに述べる前に、自分はそういった"よくわからない"言葉を使っていないか?と思い、このブログの過去の記事を漁ってみた。

 

 …あった。

 

mizuame93.hatenablog.com

 

 これは恥ずかしい。タイトルもさることながら、本文中でもこんなに使っている。

①私は、「そんなの当たり前じゃん…」と思わずにはいられなかった。

②当たり前のことだが、何に対しても「人による」という言葉が使える。

 

 私はこのとき、自分の考え"だけ"を前提にしてこの「当たり前」という言葉を用いた。上記②などは、「私の中では」当たり前なのであって、私でない他の人にとってみれば、何でも人によるとは限らないという主張を持っていることがあっても全くおかしくないのだ。

 

 「当たり前」「常識」とは、必ずその前に"私にとって"が付けられる言葉なのではないか。言い換えれば、「当たり前」「常識」の中身は後付けであり、そこに自分勝手に意味を含ませる為の、いわば「入れ物」としての意味しか持たないのではないか。この言葉に対する私自身の使い方、上司達の普段の使い方から考えると、「当たり前」という言葉の意味は、自分の体験、経験、価値観などを材料にして、発言者に都合の良いように勝手に作られている、そんな風に思えた。

 

 そう考えると、「そんなの当たり前だ!」「常識だ!」などと叱られた(あるいは彼のストレスの捌け口にされた)とき、脳内で

「そんなの(俺の中では)当たり前だ!」

「(私の中では)常識だ!」

と勝手に補足しておけば、「この人は今、この人の価値観で喋っている」と判断できるから、相手の価値観の押し付けを回避できるし、洗脳の予防にもなるかもしれない。

 

 「当たり前」「常識」という言葉は、とても使いやすいし、大抵の人はその意味を(いわゆる「当然」と同義のものとして)知っている。だから、部下を叱る時などには上司にしてみれば非常に都合の良い言葉なんだろうと思う。しかし、そう言って叱ることには何の意味もないのではないか。何せ、「当たり前だろ」と言われた側は、そこで思考が停止する。電気の分野など、技術的なことで「当たり前だ」などと叱られてしまっては、言われた方は、考えが「そういうもんなのか」で終わってしまう。これはとても勿体無いように感じる。この場合、「"当たり前に"こうなる」ではなく、「"なぜ"そうなるのか」までを教える、または考えさせてこそ、ではないのだろうか。

 

 結局、「当たり前」「常識」という言葉は、発言者の脳内にある知識を拾い集めて作られた程度の意味しか持たなそうだ。私が部下を持つ立場の人間だったら、私の価値観の押し付けをせず、「なぜ」を考えさせ、相手の頭を動かすようにしたい。「当たり前だ!常識だ!」などと怒鳴りつけ、相手を黙らせるような上司にだけはなりたくないと思っている。

 

 余談だが、私は新入社員1名の教育担当を任されている身だ。仕事や電気のことで質問を受けることもままある。(だが私が答えられない場合がかなり多い。すまない。)ここで「あったりまえだよ~」と言ってしまっては、私も後輩も、それ以上得るものがなくなってしまう。質問された時は、私が既に知っていることであっても、ある程度説明した上で、よく「なぜでしょう?」と言い、少しだけ考えさせるようにしている。これで力を付けていってくれれば私も嬉しいのだが。

Sorry, I can't speak, read, and write English ...

  •  英語で書かれた電気の教材を読んでいる。
     と言ったものの、残念なことに、私は電気のこともよく分かっていないばかりか、英語をスンナリと読むことも出来ない。なので、辞書を引いたり、ノートに書いたりして、何とかかんとか読み進めている。そのお陰で、読むスピードは途轍もなく遅い。
     しかし、過剰かと思う程じっくりと読んでいる所為か、意外にも理解はしやすい。電圧と電流を「水」を用いて例える話は何度も本で見たが、たぶん、今まで「わかったつもり」になって読み飛ばしていたんだろう。今のように、分からない言語で書かれた文章を、調べながらでも理解できるまでじっくりと読んでいる方が、ずっとイメージがしやすくなったと思える。
     どうも、日本語だと「あぁそうね分かってる分かってる」という感じで簡単にスルーしてしまうよくない癖があるようだ。(そして実際には分かっていないので、結局何も身に付いていない。)だったら、分からない言語で書かれた文章で非常にゆっくりでも読んだほうが、意外と効率的に身に付くのかもしれない。飲み込むスピードはとても遅いが。

日記160506

 自宅に居て勉強出来るのであれば何ら問題ないのだが、私にはそれができない。どうしても集中が途切れてしまう。自宅にはテレビやPCやゲーム機といった誘惑が多く、すぐに遊びに走ってしまうからだと思う。

 一方で、職場では本を読む気にもなれる。その日やることが終わってしまった時に、余った時間で電気やExcelの勉強をするのが、今の私にとっては最も有効な勉強の手段だと考えている。(ただしそれは社内が比較的静かなときである。騒音が聞こえていれば勉強どころではないどころか仕事すらままならない。)といっても、常に忙しい職場なので、そのチャンスはなかなか巡ってこない。しかし、受験期間中にするゲームが一段と楽しいのと似たように、時間に余裕がない中わざわざ職場で行う読書や勉強というのはとても面白みがあるし、やる気も違う。電気のことでちょっと困ったら、よく知っている上司にも訊ける。この環境を有効に利用しない手はない。

 職場には専門の本も数多く置いてあるのに、ほとんど新品の状態で保管されている。もったいないから、いっそ私の手で汚してやろうかとも思う。内容を理解できるか、はともかくとして。