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そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

「あなたに出来て私に出来ない」のは当たり前

 いつもの公開叱責を聞かされながら、気になったことがあった。マジおこ状態の社長がこんなことを言っていた。

 

「俺に出来てんのに、何でお前ら出来ねえんかなあ?」

 

 少し離れたところからそれを聞いていた私は、「そんなの当たり前じゃん…」と思わずにはいられなかった。

 

 本人の"何で?"という質問に最も簡単に答えるならば、私は貴方じゃないからだ。

 

 当たり前のことだが、何に対しても「人による」という言葉が使える。ある人にとってはとても容易いが、別の人にとっては宇宙語に聞こえる程度の内容になるような事象は、いくらあっても何も不思議ではない。

 

 "俺には出来るのに…"という言い方から思うに、それは言った本人にとっては「簡単なこと」なのだろう。発言者は決まって自分の物差しを基準にして物事を論じるものだ。(当然このブログの記事も、私の偏見を以て書かれているのだが)

 

 とはいえ、何度もやっても覚えない慣れないような場合は、叱られる側にも問題があるのかもしれない(例えばそもそもやる気が無い、とか)。こういう場合は、人を変えるとか、意味のあるアドバイスをかけてやるとか、そういう対応が必要なのでは?と思う。しかし冒頭の彼はそういうことはしない。①社員にみっちり怒号をぶつけ、それが収まると②自分がいかに優れているかを語り、そして最後に③「よろしく」で締める。(一連の過程には精神論が多く含まれるというように叱り方が大体パターン化されているが、このやり方のどこが建設的なのか。まさかこれで社員が育つと思っているのか。叱り方に問題がある上司の下では人は育たないというのは本当なのかもしれない。実際、こういうやり方に嫌気が差して辞めていった人が何人もいる。

 

 …だらだらと逸れてしまったが、要は上司という立場になったら「自分を基準に考えず、その人にとって何が問題なのかを引き出して、改善に導くような指導を与える」「どうしてもアレなら人を変える」くらいやるべきなんではないかと思う。金子いすゞさんの「私と小鳥と鈴と」は、人間と鳥とモノの話になってはいるが、登場人物を全て人間に置き換えても同じだろう。人間は当然「みんなちがって」いる。

 

 「人間皆同じ」であり、「自分には出来る」ゆえに「こんなの誰にでも出来る!」という考え方は、まずその「皆同じ」という前提が間違っていると思う。人と人の問題に於いて、そんな推移関係は成り立たなくて良い。