そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

月に1度は有給休暇

 今の会社は、年がら年中忙しいと言えるような状態にある。そのためか、「体調不良」以外の理由で有休を取得する上司がほとんど居ない。「私用で休みます」と聞いたこともないような人もいる。有休の日数が余りに余って仕方ないのではなかろうか。

 

 私は、月に1回くらいのペースで有休を取っている。もちろん「体調不良」が理由ではない。出勤日にずっと出続けるというのも疲れてしまうからだ。

 

 そもそも「平日だから仕事に行く」というのも、何だか窮屈な話だ。「平日は仕事に行くもの」という前提がまず気に食わない。休みたければ休む、それが可能な方が望ましい。かと言って休みを取る理由が「体調不良」では寝込んでしまい、せっかくの有休を有意義に消化することも出来ない。理由など関係なく、休みたいときに好きなように使えるのが有休の姿であるべきだ。

 

 また、有休の間は仕事のことはほとんど忘れていたい。そうでないと心が休まらないし、仕事のことなんて考えていたらせっかくの1日が無駄になる。旅行、映画、ショッピング、帰省、惰眠を貪る…その日の過ごし方は仕事以外のどんなものでも構わないはずだ。その為に取った休暇なのだから。

 

 そして、有休はすべて消化しないと損だ。理由は知らないが、いずれ消えてしまうのだから。かと言ってドンドン使うと、急な体調不良の時に欠勤扱いにされてしまう(シックリープでもあれば別だが…)ので、5日くらいは取っておくことにしている。

 

 会社で「皆勤賞」なんて取る必要はない。取ったところで特に良いことはないのだから。もっと力を抜いて仕事しないと、自分が持たない。たまには理由がなくても平日に休もう。

「社会人としての常識」って何なのさ

 今日も出た。誰かが誰かを説教中、「社会人としての常識」という言葉が出た。私の中では名言に近いこのフレーズは、いったい何を言おうとしているのか。

 

 そもそも、「社会人」という単語がなぜ「働いている人」のみを指すように使われることが多いのか。社会の人と書いて「社会人」、それはつまり、生まれたての赤ん坊も、定年まで勤め上げた老人も「社会人」ではないのか?

 

 そして「常識」、これは本当に中身の無い言葉だと思う。いや、正しくは、「常識」の意味は発言者によってまったく違う、と考えている。発言者が今まで見たもの、聞いたもの、感じ取ったもの、経験したもの…そういった個人的な要素がまとまって、発言者の「常識」となるのであって、ただ単に「常識」と言っただけでは何も言っていないのと同じではないか。なぜなら、意味が定義されていないように思えるからだ。

 

 そういうわけで、「社会人としての常識」というフレーズは一体何を伝えくて使われるのか、私には理解できない。まったく分からない。「社会人」と「常識」に分割してもやはり分からない。このフレーズを使う説教に果たして意味はあるのか。聞こえてくる説教を聞きながら、何となく考えてしまった。

会社員としての5年が経った

 今日から会社員生活という人もいるだろう。それに絡んだ話ではない。今回は、自身の会社員生活を振り返ってみることにする。そういうどうでも良いことを書く時にはブログは役に立つ。ツイッターと違って、文字数制限が無いからである。

 

 私が会社員として今の会社に入社したのは5年前のこと。ソフトウェア担当として入社した。当時は外から見ても分かるほどガタガタで、しかも変な汗をかいていた記憶がある。新しい環境に慣れるまでは1ヶ月くらいかかっただろうか。

 

 ソフト担当として入社したのだが、1年目の仕事はあちらこちらへと方向が変わった。本業とされるソフト設計については教わりながらフローチャートなんかを作っていた時期もあった。しかし、製造を手伝っていた時期がいちばん長いのではないだろうか。人手不足を穴埋めする格好で1年目だった私が手伝いにまわっていた。ただし、その当時の私は「人手不足の穴埋め」という意識を持っていなかった。単純に「任されている」ものだと考えていたはずだ。だが、あれはただの増員(に伴うコストアップ)をきらっての事だったのではないだろうか、などと思う。

 

 1年目の1月、突然の異動を経験した。ソフトウェア部門からハードウェア部門への異動だった。その時の異動の目的は、私のデジタル回路の設計だったかと記憶している。しかし、その仕事はいつの間にかどこかへ行ってしまった。だが私はそのままハードウェア部門に居残るのであった。

 

 そして、2年目から現在まで、ずっと「購買部」のような仕事をしている。自身で設計をすることは殆ど無く、上司らが設計した回路に基づいて購入品を揃えたり外注先と連絡を取ったりする仕事が主である。そのおかげもあって、私は今も「電気のことが全くよく分からない電気回路設計者」である。

 

 5年経って、そのことを不安に思うことが増えた。このままで良いのだろうか、と。大したスキルも付けずにここまで過ごしてしまったことへの不安は大きい。せっかく配属されたからと、学校で全くやったことの無い電磁気学の本に触れてみるものの、本の内容が分からず、1時間もしないうちに違う本を読み始めるということが未だに続いている。電気に対するやる気が出ないのは確かである。会社、仕事、経験、住む所、今後の振る舞い方、その他その他…おそらく今までと比較して、かなり悩んでいる。私は今後どうありたいのか。どう生きていきたいのか。一度辞めようとして引きとめられたこの会社に居続けるメリットは果たしてあるのか。裁量労働制なのに出社時間が定められていて、深夜の残業代もなく、毎日夜21時、22時まで残業しているような会社に存在する価値はあるか。私には最早分からない。

 

 今年は新入社員が二人入ってきた。彼らは未だ上記のようなことは知らない。時間を置いて段々と察させていけば良いのか、それとも、普段の会話の中で暴露して良いものか。