そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

「忍耐」ってそんなに偉い?

  山本五十六氏のこの言葉。

「男の修行」

苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。

これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。

 

 本人と一部の方々には申し訳ないが、俺はこの言葉が心から嫌いだ。

 「男なら負の感情はしまっておけ」というメッセージに聞こえてしょうがない。苦しいことに耐え、泣きたいときも耐え、腹立たしいことも耐え…って、耐えてばっかりじゃないか。男だろうが何だろうが、普通の人なら苦しい、辛い、腹が立つ、泣きたい、逃げたい、と様々な感情を持っているはずだ(「逃げたい」はズレているか?)。それらを全て堪えて…なんて、「感情を捨てろ」と言われている様で気に入らない。別に何もかも耐えなくても、泣きたいときは泣いて良いし、苦しい、辛いと感じたら逃げたって良いと思う。だから、「男のクセに泣くな」というセリフも嫌いだ。男だって泣く、当然だ。

 

 なんていうと、多分大多数の人からは「忍耐力ねぇなぁ」と思われてしまう(まあ実際に無いのだが)。だが先ず、「忍耐力がある」人はそんなに褒められるべき人なのだろうか?

 

 俺は、「忍耐力が無い」というのは、裏を返せば「状況に対し素直である」とは言えないものかと考えている。

 例えば毎日残業続きで、22時頃の退社が続く人(A氏)が「毎日仕事ばかりで帰りが遅くて辛いよ」と言ったとする。話し相手(B氏)が「あ?俺なんて毎日X時間残業&休出だぞ、甘えんな。お前には忍耐力が無い」と言ったところで、「B氏がA氏より忍耐力があって偉い」かと言えば…そんな訳ないでしょう?

 A氏の持つ感情の方がずっと自然だ、とは思えないだろうか?1日8時間+残業数時間が続いて疲れも溜まる日々を過ごしていれば、「辛い」という感情が出てくるのは寧ろ普通だと思う。実に自然な、素直な考え方である。対してB氏は…これはもう完全に「染まって」しまっている。忍耐力がどうとか言うよりは、ただの「麻痺」状態ではないだろうか。

 例を挙げればいくらでもあると思うのだが、「いかなる状況にも耐える人のほうが偉い」という考えは間違っていると思う。その「状況」が明らかに理不尽なものだったとして、それに耐えることに何の意味があると言うのだろう?

 「忍耐力のある人が偉い」なんて一概に言えない。どんな状況にも耐えられる人が賞賛され、状況と感情に素直な人が叩かれるのはおかしい。だって、下らないことをじっと我慢する必要はどこにもないし、無駄だし、何の意味も無いじゃないか。もっと自分の感情に素直になって生きていても良いのではないだろうか。