そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

完璧な生き方なんて、出来ないんだから

 ある程度いい加減に生きようか。
(タイトルはジミーサムP氏作曲"No Logic"の歌詞をちょっといじった)

 

 何をするにも、企画、設計、スケジューリングなど、言葉は色々あれど「計画」が大事であるとよく聞く。目標も似たようなものか。「段取り八部」という言葉があるくらいだから、計画というのはそれだけ重要な工程であるのだろう。

 

 この「計画」や「目標」だが、そのやり方によっては後々結局苦しんだりなあなあになったりする。ちょっと考えたことを書いてみる。

 

  • 何から何まで全てうまく行くことが前提条件のもの
     日程に余裕がなく、「誰かが1日でも休むと納期遅れ必至」みたいなことになっている場合、そもそも日程の立て方がまずかったのだろう。
     確かに事を早く進められるのは良い事だと思う。しかし、その裏にある種「完ぺき主義」を感じさせる計画が立てられていたのだとしたら、あまり褒められるべきものではないと思う。いつでも100%の力を発揮できる社員はそうそう居ないし、何かのはずみで急に体調を崩して寝込んでしまうことだって当然ある。
     そういった「予測可能な」トラブルを見込んで、例えば3日分くらい「予備日」なるものを設けてやれば、もしそういった事態に遭遇してもじゅうぶん挽回が可能なんじゃないか。だから、「100%」を前提にした余裕のない計画は、もうその時点で計画倒れと言って良し、と考える。

 

  • ガチガチすぎるもの
     新年や、事始めの目標なんかに良くあるのではないだろうか?「毎日○○を××回」とか、「○○という資格を取るために××月までに△△を勉強して□□月までに◇◇を勉強して(中略)☆☆月に試験!」など
     ・「毎日」という言葉のある計画
     ・あまりにも細かすぎる計画
    は、大体が達成されない。(俺がそうだった)
     その原因だが、「一度狂うと投げ捨てる」ことにあると思う。例えば「毎日ランニング1km以上」という目標を立てた人がいたとする。こういった目標は、大体1~2週間は継続する。それを過ぎてから、ある時どこかでサボってしまったとしよう。目標を立てた人にとっては、その時点で「残念でした」になってしまう。おまけに目標が「毎日」だったために、どう頑張っても挽回することが出来ない。そう思うと結局、その後のやる気がどんどん失われてしまい、いつの間にか無かったことになる。
     だから「毎日○○する」なんて計画は死んでも立ててはならない。完璧主義者によくある計画の仕方だろう。もっとゆるく、例えば「毎週最低1回はブログを更新する」くらいの目標にしておけば続けやすい。そのうえ、後になってみれば、「毎日」と設定して2週間くらいで投げ出してしまうよりも、回数的に多くこなせていたりする。

 

 時間的・精神的に余裕の無い計画は往々にして失敗する。計画や目標は、

  • ゆるく
  • 余裕を持って
  • いい加減に

立てておけば良い。ある程度いい加減な方が、気持ち的にも楽ですよ。