そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

私は給料を"貰う人"です

 ネットを漁ったりTwitterを見たりしていると、

とある会社のポスターの内容が酷い

と、一部で叩かれまくっている。

 このポスターの件については私も思うところがある。なぜなら、毎日見ているからである。私は、あれは洗脳の一種だと思っている。それも、経営者の都合の良いように社員の考えを向かわせ、法律違反が蔓延る現実から目を逸らせるためのものだ。

 例えば「あなたは給料を"稼ぐ"人、"貰う"人、どっち?」というポスターがある。このポスターには、給料を"稼ぐ人"と"貰う人"のイメージ図が付いている。うろ覚えだが、"稼ぐ人"はシャキっとした身なりにやる気を見せるような表情をしている。それに対し、"貰う人"は背筋を曲げ、どこかやる気が無いと思われがちな表情をしている。

 私はこのポスターを見ると、「"稼ぐ人">”もらう人”」とでも印象付けたいのかと疑問に思うのである。雇われ(労働者)である限り、労働者→経営者という関係は「労働力と時間を売り、その代わり金銭を受け取る」ことに尽きる、と思う。

 それゆえに、我々労働者は給料を「もらう側」でなくてはならない、と考えるのである。よく「売り上げがなくては給料など払えない」という声も聞かれるのだが、それこそ、同じ会社の別のポスターで謳われていた「できない病」ではなかろうか。給与の支払いが「出来る/出来ない」と分ける考え方そのものが間違っている。給与は支払わなければならないものであって、労働者としては報酬もなしに働くことなど出来ないのである。

 稼ごうが稼ぐまいが、提供した労働力ぶんの報酬は受け取って然るべきだ。私は雇われの身である限りは、これからも胸を張って給料を"貰う人"で居続ける。何もここでやる気を見せる必要はない。その力は会社の外で使えばいい。

トイレと業績?

 会社の廊下に変なものが張り出されていた。「トイレがキレイな会社は良い会社である」という趣旨の、新聞記事の切り抜きだった。果たしてこれは本当なのだろうか。確かにトイレが臭くて汚れているよりは好印象を与えると思う。この会社でも「トイレは会社で一番キレイにせよ」と言われる。恐らく長年の経験からそういったやり方が確立されたのだろう。

 しかし、その命題は100%成り立つものだろうか。NOだろう。どうしてトイレの清潔さと会社の良さが比例するのだろうか。訳がわからない。そもそも、「良い会社」と言うが、その「良い」の定義は何なのか。その時点ですでにおかしい。それが成り立つなら、対偶の「悪い会社はトイレが汚い」も成り立たなければならない。しかし、元の命題も対偶命題も、反例は探せばいくらでもある。そこを無視しているのだろう。

 何だか、生存バイアスと確証バイアスが産んだ子供のような感覚だ。「トイレがきれいな会社は良い会社である傾向にある」なら、まだ分かる…かもしれない。

 

飲み会は嫌いだ

 

 身体を患ってから拒み続けてきた会社の飲み会に、久しぶりに参加してきた。会場はやや狭い。そこに数十人が詰め込まれて、酒を注ぎ酒を注がれ、社員同士盛り上がっている。私はその輪の中に入れなかった。出される食事をただひたすら食べてウーロン茶を飲んで過ごした。騒がしい且つ人口密度の高い空間に入り浸るのは苦痛だ。

 

 嫌いな上司も容赦なく近寄ってくる。私も話しかけられたが、会話中は一切目を合わせなかった。身体も上司の方に向くことはしなかった。後から後輩に笑いながら、「あの人来た時、表情消えましたね」と言われた。事実だ。

 

 終了間際には、もうあの空間に居ることすら嫌になっていたため、お開きの時間になった後、逃げるように会場を去った。ものすごい開放感を覚えた。自分はどれだけ嫌がっているんだ、と呆れもした。

 

 今後、新たに社員が入ったら、またこのような場が設けられるのだろう。次は断ろう。仕事をする仲間と割り切って、会社の外で酒を入れながら付き合うという無駄な残業はしないことにしよう。

 

 飲み会は嫌だ。