そして雨になる

ネット上でだけよく吠える、コミュ障のブログ。

会社が潰れない保証は無い

 今、この本を読んでいる。

  これを手に取った理由は、特に無い。ちょこっと寄った本屋を見回っていたら、背表紙の題名に一本釣りされて買ってしまった。この本に手が伸びてしまうあたりが、私が今の会社に対して思っていることを物語っている…と言われればそうなのかもしれない。

 

 さて、私はこの本をレビューするために記事を書いたのではない。私も従業員である以上、勤め先が突然倒産してしまうというリスクを抱えながら仕事をしているわけであって、会社が永久に続くという保証はどこにもないんだよな…と、しみじみと思った次第である。それは何も私に限った話ではなく、全ての従業員に対して同じことが言えるはずだ。経営者は「こんなことをしていたら潰れてしまう」と言う(経営者目線)が、従業員たる私にしてみれば、潰れたら次の働き口を探すのみ(従業員目線)である。潰れる心配をするのは経営者だけで十分だと思う。

 

 そうである以上、「副業」というものが許されない理由はどこにもないと思われる。稼ぎ口をいくつか用意しておけば、どれか1つがなくなっても稼ぎ口が残るわけで、これはまさしくリスクの分割だ。自己防衛の1つともいえそうだ。

 

 あの会社は明日潰れるかもしれない。可能性はとても低いが潰れるかもしれない。従業員目線で見ると、常にそのリスクとの戦いである。しかし、それに気づければ、対策を打つことも可能である。

第一歩がまだ出ない

 また新たな課題が出た。

 電気を勉強して週1回皆の前で発表しろって。

 分からない所はそこで恥かいて指摘してもらえって。

 痛い目見なきゃ分からないって。

 

 正論だと思っていても、心のどこかで反抗している。

 こんなことしたくて入った会社じゃない、と。

 

 

 こういう時、つい考えてしまうことがある。

 このまま電気を仕事にして良いのか。

 私は何がしたいのか。

 

 

 他の仕事に就いてみるのか。

 一度逃げ出してみるのか。

 その一歩が踏み出せないまま4年が経った。

 

 私はどこに向かって進むべきなのだろう。

 その答えは誰も教えてはくれないぞ。

会社とは「仮面で踊る場所」

 会社とはどんな所だろう。という疑問を取り上げた本やブログはいくらでも転がっているだろうし、個人個人でそれぞれに考えがあるのではないかと思う。

 

 会社とはどんな所か。今の会社に5年勤めた私からすれば、会社とは「仮面舞踏会」のステージだ。

 

 たとえば私の場合は、遅刻を避けるために同じ時間に出社して、今日も頑張ろう…というような雰囲気をしぶしぶ出して机に向かう。理不尽な要求や命令や叱責に耐え、退屈や暇や眠気も我慢して、夕方の定時を迎えるまで(?)、自分を抑えて会社の一員として仕事をこなす。私は、この「しぶしぶ」とか「自分を抑えて」という所に、「本当の自分を隠して一日を過ごす」ような気分を覚え、それを「仮面を被った自分」に例えた。

 

 加えて、会社で自分の素性を過度にさらけ出してしまうと、その話題に乗っかってくる上司に付き合わなければならず、たいへんに面倒くさい。面倒な人との付き合いはなるべく減らしたいので、知っていることも知らないフリをして、長時間関わらないようにしている。本当の自分は見せたくない。なぜなら面倒だからである。この点から言っても私は「仮面」を被っていると思う。

 

 仮面舞踏会とはなんともつまらない表現の仕方だが、仕事とプライベートを切り分ける上ではそれなりに当てはまる表現なのではないかと思っている。なぜなら、会社の門を出た途端にその「仮面」を外すかのように、さあここからは自分の時間だ、何をしようか…と張り切っている自分がいる。仕事のことを考えるのは、出社して「仮面」を被って踊っている時だけで十分だ。退社した後くらい、自分のやりたいことに集中したいものだ。

 

 はぁ。今日も踊り疲れたな。