社長、精神論はもうお腹いっぱいです
今朝、ふと思いついてこんなことを呟いた。
日本が大好きな精神論というクソみたいな論法は、自分を納得させるためにならいくらでも使って良いと思いますが、それを相手に押し付けるようなことはやっちゃイカンだろう、と
— あめ (@ame7393) 2014, 7月 13
この「精神論」「根性論」の類は、少なくとも私のいる会社では、年配者ほどかなりの頻度で使ってくる。例を挙げると
- (製品を)売る気が無いから売れないんだ。
- 責任者不在をお客さんから指摘されているが、社員に自責の念があればこんなことは起こらない。
- (相手に)お詫びが通じないのは(社員の)誠心誠意の気持ちが不足しているからだ。一層心を込めろ。
2点目はごく当たり前であるかのようにある書面に書かれている(ですます調であり上記よりは丁寧)のだが、的外れにも程があるというものだ。結局「誰々を責任者とします」とは言ってない。これではまったく解決にならなそうだということくらい、私にだって分かる。
しかし御上は日常こんな事ばかり言っているが、さては昔から問題の解決に精神論を持ち出していたのだろうか。そしてそれは実際に解決へと繋がってきたのだろうか。甚だ疑問ではあるが、現在のこの様相を見るに「No」でありそうだということは容易に想像できる。
「事故1件の裏には29(?)件の小事件、更にその陰には300件の云々…」と言われているが、どうもこのやり方は「1件の事故(仕事上の失敗)」に対してその後ろ(29件、300件)の小事を見ずに、頭ごなしに「本人の精神の問題」として終わらせている、そんな風に思えてしまう。
日頃から言われている「具体的に示せ」は、私たち社員も当然実行しなければならないが、会社の方針を決める経営者も行うものであるはずだ。ここの経営者はどうもそれが巧くないらしい。
だから人がすぐ辞めていくのだろうか?いや、それはちょっと違うか?どっちにしろこの会社に居続ける価値は無いな…
なんてことを、冒頭の呟きをしながら考えていた。